+ 夜明けとともに朝散歩へ +
-(前日夜のPhoto)
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朝5時半。
澄み渡る青空が気持ちいい。
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路地へと入っていく。
世界遺産に登録されて、一斉に壁を塗り直したかな。
奇麗すぎて味わいがあまりない。
- -5分程で、旧市街入り口のモンに到着。
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門近くの教会。
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枯れた建物発見。
修復前の建物は、ほんの2〜3軒のみで、
あとは、みんなキレイに壁が塗られているのです。
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ANTYKIはアンティークショップかな。
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もう一度広場に戻って来た
市民の方がお掃除中。
徹底的に奇麗にしている感じ。
隅々までゴミ一つありません。
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ガイドによるとザモシチは。。。
ポーランド南東部の都市で、16世紀の大貴族ザモイスキによって造られた。
五角形をなす城壁に囲まれた、面積わずか24ヘクタールの小さな町だが、
ザモイスキの夢を実現させた理想的な計画都市といわれている。
東欧で最初のイタリア・ルネサンス様式で造られた町で、
広場を中心に美しい家々が並ぶ風景が当時のまま残されている。
学生時代に北イタリアに留学したザモイスキは、ルネサンス美術に感銘を受け、
祖国ポーランドにルネサンスの町を造るという壮大な夢を抱く。
そして40歳の時にイタリアから建築家を招き、その夢を実現に移した。
町の中心になる広場には、シンボルとなる堂々とした市庁舎を建てる。
広場を囲む家々は皆、同じ高さとデザインでそろえて、美しく並んでいる。
ザモイスキは、広場を境に町を2つに分け東側を商業地区とし、優秀な商人たちを招き住まわせた。
商人たちには外国人が多く、町は国際都市となり大いに栄えた。
西側は文化地区です。この地区には大学を設立し、高尚な文化が薫るルネサンスの町を造り上げたのです。
ザモイスキの理念が隅々にまで活かされたこの計画都市は、多くの人々の賞賛を浴び、
ザモシチは「ルネサンスの真珠」と呼ばれるようになった。
とのこと
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- - -それにしてもさわやかな青空。
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7時。
では、そろそろ宿に戻ろう。
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宿の窓からのながめ
朝食- - -ダイニングのようす
朝食後、ふたたビ街歩きへ。
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-広場からすぐの所にある大聖堂尖塔へ登ってみる。
- -入り口
- -階段を上っていく。
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尖塔突端に到着。
市庁舎が見える。
旧市街を一望するにはちょっと高さが足りない感じかな。
-歴史のある教会なのですね。
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礼拝堂のようす
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内装は、割と質素。
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ここの空間だけ、な、何とチープな。。。
遠目には悪くないのですが、
よく見ると手書き大理石模様とぶどうの彩色が、
何とも言えない粗雑度。
世界遺産の教会なのでさぞかし。。。
と思いながら入ったので、少々がっくり。
- -こちらは素敵だ。
教会を出て、再び街歩きの続き。
- - -Ciuchlandって何だろう。
- -中庭のゾーンにそっと入っていきます。
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味わいのある空間。
- -旧市街を囲む塀。
修復が進んでいます。
-列車が来た!
-機関車の単行回送のようです
ガイドブックに従って、ロトゥンダ(要塞)へ行きます。
ガイドによると。。。
ここは、 元々19世紀はじめに町の防御の為に建てられたのが、
1939年にナチスの処刑所として使用し始めた。
現在内部は博物館となっており、殺戮の歴史を後世に伝えている。
とのこと
旧市街を出て、10分程歩くと到着。
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ロトゥンダへの取り付け道路沿いには、おびただしい数の白い十字架。
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ユダヤ人とロシア人の墓標。
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円形レンガ造りの建物、
ロトゥンダが見えて来た。
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ゲートには「1944」との文字が。
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-ゲート入ってすぐ。円形の中へ。
- -ロトゥンダ全体のようす。
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館内へ入ってみる。
係の人はおらず、自由に出入りするようになっている。
-館内の展示物。
- -このマークが目に入るとドキッとする。
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写真パネルは占領下の旧市街のようす
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1939-1944の文字が。
円形を一周して出口へ。
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ロトゥンダまわりにも墓標が。
悲劇の現場なのですが、
何か、やけに美しい。。。
少し重い気持ちでロトゥンダを後に。。
ロトゥンダのすぐ裏は、市民海水浴場。
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少し隔てただけで、
打って変わって何と明るい雰囲気の場所。
みんな楽しそうに池で泳いだり、日光浴したりしています。
すぐ裏手のロトゥンダとの対比が際立つ。。
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池沿いを行く。
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どんどん行く
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-旧市街の方向はこちらですが、工事中。
端っこの方をこっそり登っていきます。
<このあと、無事旧市街へ戻ります>
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