雨乞岳
Amagoi-dake |
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滋賀県 1238m
+ さあ出発+ フジキリ谷登山口に車を止めて、 林道を登って行きます。
![]() ![]() ![]() ほどなく、自然林に。 木漏れ日がいい感じ。 ![]() ![]() ![]() ![]() ところどころ、色付き始めている。 ほぼ平坦な路が続く- ![]() ![]() この路は、千種越えの古道。 「千種越え」とは、資料によると。。。 近江と四日市、を結ぶ重要な通商路で、近江商人が独占していた。 1560年頃の文書によると、彼等は、近江から八風・千種越えで伊勢に来て、 東海地方の産物(主に紙・木綿・塩・鳥類・海苔類・荒布・魚類・伊勢布など)を仕入れ、 近江や京都で販売した、とのこと。 当時は、品物の運搬や警護のために大勢が隊列を組んで、 あたかも砂漠を渡るキャラバンのような団体行動をとる必要があった。 その後、 多くの人々の通行で賑わった峠越えも、 特に東海道や中仙道の宿駅の整備、 信長による安土城下での楽市の開設と山越商人の禁止などによって衰退し、 江戸時代初期の頃には歴史の表舞台から遠ざかってしまい、 その後は、北伊勢と近江を人々の生活道の役割を果すのみとなった。 とのこと。
![]() ![]() - ![]() ![]() ![]() さらに自然林の中を、どんどん進む。 このあたりから、上り坂。 でも、古道だけあって、傾斜はほどほど。 登りやすい。 ![]() ![]() ![]() 見応えのある木々たち。 - ![]() ![]() ![]() ![]() 緑に黄色、赤。。 色とりどりの色彩が楽しめる。 この時期ならではですね(^^ ![]() ![]() ![]() このあたりは、幼木のゾーン 少々ガスって来たかな? ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 霧に煙る森の情景は。。。幻想的ですね。。 ![]() ![]() + そして杉峠に到着 + ![]() しばしの休憩タイム後、 ここからは千種越えの古道を離れ、 山頂を往復します ![]() ![]() 山頂へ向けて、急登を行く。 このあたりは、紅葉も終わりかけかな。 ![]() ![]() ![]() 急登が終わると、緩斜面の尾根に出るが、 このあたりは一面ヤブ地帯。
このあとヤブ高は、どんどんエスカレート。 背丈以上のヤブをかき分け、埋もれながら前進するが、 ほどなく、山頂が見えて来た。 +山頂に到着+ ![]() 今日はガスってて、展望はゼロ。 ちょっと残念。 ![]() ![]() とりあえず、記念写真して、昼食としよう。 各自、持参した食糧にありつく。 HP管理人は、カップラーメン。 が、ここで、バーナーが無いことに気づく。 しまった、忘れた。 でも、とってもやさしいメンバーの方に、 快く貸していただきました。ありがとう(^^ 単独だったら、ひとりで飢えてるところだった。
![]() ![]() ヤブ地帯も終わり、気持ちのいい尾根を、 下って行く。 ![]() ![]() ![]() 北方向の視界が、少し開ける。 藤原岳まで見えるかなあ〜、 と思いながら、少々待ってみましたが、ちょっと無理でした + 杉峠に戻ってきた + 行きは、ガスの中でしたが、 帰りは少々展望がきく。 - ![]() ![]() 山肌の紅葉ピークは、もう少し先ですね ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 緑に黄色、赤。。。 色とりどり、きれいですね(^^ ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ひときわ赤い葉。 ![]() ![]()
そして、林道をどんどん下ると、ほどなく、登山口。 ![]() このあと、登山口近くの牧場でイタリアンなアイスを食べた後、 ワイナリーでワインを試飲、 さらに日帰り温泉施設(十二坊温泉)で汗を流し、 最後はお食事。(^^; 今回は、とても充実した楽しい山行きとなりました(^^ メンバーのみなさま、ありがとうございました!
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